タグ： 廉キャラ

ごうーーっと低く続く音。次の駅を目指して走る地下鉄が、風を鈍く切り裂く音。乗車中はずっと聞こえているはずなのに、今夜はやけにそれが耳について、眠れない。 モスクワの駅を出発して随分経ったが、割れた窓から吹き込む風は、未だあの町の空気を運んでいるように、冷たく思えた。 ミシェルは、物音を立てぬよう、ゆっくりと起き上がった。毛布代わりにかけていた真白のコートを、丁寧にたたんで膝に置く。地下鉄に戻ってから返そうとしたのに、真白は、まだ寒いから使っていていいと、ミシェルにコートを預けてくれた。 真白は、ミシェルからそう離れていないところで、座席に座ったまま静かに目を閉じている。向かいの座席の端にはアンソニー。良い家の育ちのようだからこんなところで眠るのには慣れていないのだろう、今夜も寝苦しそうに眉間に皺を寄せている。チャードは床に寝転がっている。座席のほうがまだ寝心地はいいのではないかと思うが、狭いのが嫌なのだろうか。 同行者たちが眠っているのを確かめて、ミシェルは小さく息を吐いた。 頭の中で繰り返される、あの町のチェルノボグの言葉。 "──貴方は、大事な大事なお母さまを裏切ったんでしょう？" 何を言われているのかと思って、だが気付いてしまった。何を言われているのかと思った、それこそが、確かに罪なのだと。 ミシェルは、静かに立ち上がって、チャードのすぐ側の床に座りこんだ。同じ場所に座ったからといって何もどうもなりはしないとわかっていたけれど。 両親を殺したのだと、あの門番は言っていた。力を制御できなかったわけではないと、殺したくなかったと、チャードは言った。 ミシェルは、母とずっと一緒にいた。父がどうなったのかは知らないが、死んだと決まってもいない。 兄がいたことを初めて知ったのだと言っていた。 ミシェルは、兄弟こそいなかったが、家族は当たり前のように共にいて助け合い慈しむものだと思える場所にいた。 家はあったのだろうか。飢えはしなかったのか。 ミシェルは、いつも柔らかなベッドで眠り、母と食卓を囲んでいた。 一人きりになったのは、いくつの時だったのだろう。今のミシェルより幼かったのだろうか。 ミシェルは、今の自分に一人で生きてゆく力があるとはとても思えなかった。 (…なんて、お強い方なのでしょうか) ごろん、とチャードが寝返りを打った。 冷たい床の上で、寒くはないのだろうか。サラマンダーの能力があると言ったって、寝ている時にまで使えるものではないと思う。 これまでもずっと長い間、寒いところにいたのだろうか。凍えぬよう己の心を燃やして。そう思うと胸が痛んだ。コートをかけようかと思ったが、真白のものを勝手にどうすることもできず、ミシェルはぎゅっとコートを抱きしめた。 考えていなかった。自分の周りにいる大人たちが、それぞれの内に痛みを抱えて、ミシェルに手を差し伸べてくれていたなんて。 ただ子供だというだけで、自分よりもずっと傷ついている人たちが、今まで、自分を守ってきてくれたのだ。それがどれほどのことか、気付こうともしていなかった。 情けなくて、申し訳なくて、痛ましくて、何かしたくて、だけど何もできない。無力で空っぽな自分。人に差し伸べるものさえ、借り物だ。 きつく唇を噛む。声を出しては起こしてしまう。せめてこれ以上迷惑になりたくなかった。 ぎゅっと目を閉じて、痛みで紛らわせて、泣くのを堪えていたミシェルは、声をかけられるまで気づかなかった。 「…噛みちぎるつもりっスか」 はっとして目を開ける。床に寝転がったまま、チャードが眉を顰めてミシェルを見ていた。 「すみ、ません…、起こして、しまって」 「まーた泣いてたんスか？」 揶揄うように言われて、ミシェルは顔を伏せた。 「いいえ、その、私…」 「何スか？」 あなたが心配なんです。何かしたいんです。…そんなこと、求められていない。 何もできない自分が情けないんです。…そんなこと、チャードには関係ない。 今までごめんなさい。…それは、チャードに向けた言葉ではない。 いろんな気持ちがごちゃまぜになった涙が、頬を伝ってぽたぽたと膝に落ちる。 「シェリーさーん」 「また泣かせましたね、チャード」 「泣かせたな」 「ええ～、また俺っスかぁ？」 後ろから聞こえた声に、ミシェルは身体を小さくする。結局皆起こしてしまった。もう迷惑になりたくないのに。自分のほうが、今まで助けられた分、返さなくてはいけないのに。 立ち上がって隣にきた真白が、しゃがみ込んで、あやすように背中をさすってくれる。 「ミシェル？　どうしたんですか？」 「わた、わたし…」 嗚咽が漏れる。しゃくりあげて、泣くのを堪えられなくて、上手く喋れない。 「ごめん、なさい」 「どうしたんですか。ミシェルは何も悪いことはしていないでしょう？」 首を振る。そんなことはないのだ。 「私っ、お、お母様を、裏切っ、…て…っ」 「」 「お、お母様、がっ、わ、わたしに、どれだけ…っ、どれだけの、こと…を、して、くださったか…」 「お母さ、まは…っ、いつも、抱きしめて、下さいました…。小さい頃、お父さんが、いなく、なってから、ずっと…私が眠る前に、歌を、歌って…」 「わたし、私っ、当たり前、みたいに、思って…！　そんなの、ぜんぜん…当たり前、じゃ、なか…っ、で、す」 「チャードも、真白様もっ…、ごめ、ごめんなさ、い、甘えて、私っ、私より、お二人の、方が、ずっと…！」 「…ミシェル」 　優しく宥めるような真白の声。そっと頭を撫でられる。 「…すみませんでした。あなたの前で、弟の話なんて、するべきじゃなかった」 　違うんです。言葉にならず、ミシェルは激しく首を振る。あなたは謝らなくていいのに。 「泣かなくていいんですよ。子供が大人に甘えるのは、悪いことじゃないんですから」 「ちが、っ、ちがう…っですっ、だって、私、私は、こんなに、大切に、して、もらっ、て、なのにっ、私は…！」 　指を組んで、姿なき神に、ミシェルは懺悔する。 「私は…、お母様と、同じものを…、信じて…いないんです」 「あのお二人が、仰った、通り…です…。私は、お母様を…ずっと、ずっと前から、裏切って」 「ミシェル」

※歌詞を引用、及び記載することは禁止となりました(Youtubeや歌詞サイトのURLだけ書くことをお勧めします)。
↑ページ上部へ