タイトル:お狐様 ■パーソナルデータ・経歴■ 名前:縁下狐夏 正体:狐 年齢:300歳くらいで、外見年齢は15歳程度(女) 人間の姿: ■能力と弱点■ [基本]こあくま(0):異性の人間や同種で異性の変化からのつながりに+1。さらにその内容を任意に設定できる [基本]おつげ(6):夢の内容の説明が条件。同じ場面で寝ている相手のおとなに対しへんげで勝てば対象の翌朝からの行動を操作できる [基本]ひのたま(6):夕方か夜、尻尾を出している時に使用。相手のおとなに対しへんげで勝てば行動を操作できる [基本]かくれみの(8):場面が変わるか望んで解除するまで、けものが[自分のけもの+2]以下のキャラクターから不可視になる [基本]にせもの(10):場面が変わるか望んで解除するまで同じくらいの大きさの物の形を(生物、無生物を問わず)変えるが、機能が変わるわけではない [基本]きつねのよめいり(12):場面が変わるまで小雨を降らせる。雨に当たっている間変化は人間に化けるためのコストが0になり、ふしぎと想いをどちらの用途でも使えるようになる [弱点]ひみつ():人に正体を見られてはいけない掟を持っている狐です。完全な狐状態で人に姿を見られると、以降セッション終了まで町とのつながりが1弱くなってしまいます [弱点]へんてこ():時代がかった服装や言葉遣い、あるいは目立つ華美な外見をもつ狐です。目立ちすぎるので隠れると言うことができず、人の姿でもみんなの注目を浴びてしまいます [弱点]つよがり():自分の実力以上のことでもできると言ってしまいがちな狐です。判定に『想い』を使う場合、余分に2点を使わなくてはいけません [特技]ひさしぶり(6):とても長生きしているので、古い知識や縁を持っています。 初対面のほかの変化と昔からの知り合いだったことにしたり、出会った人と子供の頃に出会っていたことにして相手と結ぶ『つながり』が1強くなる。この能力は初対面の時にのみ使えます。語り手(GM)に出会いのいきさつを説明しなければいけません [特技]ふわふわ(4):浮遊するようにゆっくりと空を飛ぶことができます。人間が歩く程度の早さですが高く飛び上がることもでき、物を探す際などに能力値を2増やすことができます 効果は『場面』が終わるまで続きます [特技]おくりもの(8):人間に何か特別な力のこもった道具を送ります。仲間と自分の使える特技の中から一つを選び、人間に道具を与えます。 与えた道具をしかるべき方法で使えば、その人間自身もその特技を使うことができます 道具の外見や使い方は狐が決めてかまいません ■能力値■ へんげ:(4)=不思議な力、変化たちのこと けもの:(2)=走る、感じる、隠れる おとな:(1)=機械を使う、知識、気配り こども:(1)=遊ぶ、甘える、守ってもらう ■夢■ もらった夢の数をメモ ■つながり■ あなた(保護)Lv3 ☆ 2Lv(受容)<町> あなた(信頼)Lv3 ☆ 3Lv(好意)<黒羽> あなた(保護)Lv1 ☆ 2Lv(恋)<次郎> あなた(保護)Lv2 ☆ 3Lv(尊敬)<一郎> あなた()Lv2 ☆ 2Lv()<> あなた()Lv2 ☆ 2Lv()<> ふしぎ:0[+13/場面] 想 い:0[+14/場面] ■糸■ ・       ( )・       ( ) ・       ( )・       ( ) ・       ( )・       ( ) ・       ( )・       ( ) 【思い出】 メモ: 狐は人を化かすと言うが、なるほどそれはそうであろう。 狐狗狸だなんだと、明治の頃にはお呪いにもなっておるし。 我等狐を使役する神は、日の本の至る所に社を持つ。 いと高き霊力を持ち、神にも通ずるものである。 なればこそ、なればこそ。 我等は本来、信仰されねばならぬはずであるに。 人を化かして弄ぶなど、畏るる者のなんと多き事か。 悲しきかな、人の思い込みよ。 狐とは元来、家族を大事にする生き物であるし。 人懐っこい者も多い、優しい生き物である。 ただし、コンコンとは鳴かない、あれは創作である。 夜に鳴く声が、人の女子の声に聞こえるそうで。 それが故、妖と呼ばれるに至るのであろうか。 まことに、不思議な事である。 まぁ、なんにおいても例外はある。 人にも面白き者もおるし、狐にも変わり者がおる。 狐とはいえ誰もかれも、千の年月を生きられるわけでなく。 誰もかれも、言の葉を手繰れるわけでなし。 人もきっと、そうなのであろう。 なにやら、きっかけがあればこそ。 獣も、神に変ずる事が出来るのであろうから。 なにしろ、神は人になるのだから。 その使いたる獣も、そうなれて当然である。 いや、我には豊穣の神の加護がある故に。 それこそ、必然であるのかもしれぬ。 どれ、少し思いだしてみる事にしようぞ。 これから語るのは、我がいかにして豊穣の神の加護を受けたかの話である。 変わり者である事は、生まれからそうであったろう。 生まれ落ちたる地は、人の館の縁の下である。 いつも頭上を歩く音がし、声も多く聞こえるが。 雨も降らず、狩りもしやすい、とても便利な巣であった。 いつも漏れ聞こえておるが故に、言葉を覚えるのも楽であった。 まことに、良い地に生まれ落ちたものである。 一つ季節が巡ると、本来であれば巣を離れ独り立ちするものであるが。 気に入っておったが故に、離れる事もなく。 兄弟姉妹、親も去った巣は、広く快適。 何より、頭上に人がおるが故に、寂しくない。 仲間を求め鳴かずとも済む、良い巣である。 人の方も、何か住んでおるのは承知しておるようだったのだが。 害になる者を餌とするが故、見逃しておるそうだ。 ねずみが出なくて助かるなどと、たまに言っておった。 それはそうだ、ねずみは我の餌である、人に食わせるものではない。 人前になどねずみが出たら、先にとられてしまうではないか。 餌の取り合いは、いつも一人勝ちである。 季節が二つ、三つと巡り。 生まれ落ちて、何度目かの春先。 本来は、我等狐は、番うものであるが。 親兄弟以外に、ここに近寄る狐もおらぬ故。 そもそも、他の狐を見たことがない。 よっぽど、人の顔の方が見慣れておる。 退屈もせぬし、よかろうと。 そのまま、生活を続けておったのだ。 そんな折、やけに頭上が騒がしくなり。 日々、ぎゃーぎゃーと喚きたておる。 何事かとおもい、巣から出でて覗いてみれば。 人にしては、やけに小さな者が転がっておる。 人は、熊ほどに大きな生き物である。 それに比べ、あれは猿より更に小さい。 あれが噂の妖精さんかと思った。 泣くわ喚くわ、煩き事この上なし。 人が世話をやいており、なるほど妖精さんの面倒を見るのは人の役目であるかと。 そう、納得しておった。 なにより、人は神や仏、妖や霊など、様々なものを敬う生き物である。 妖精さんの世話をして、何もおかしなことはなし。 どれ、同じ巣に住む者同士である。 世話でも手伝ってやるかと、たまに木の実をとってきてやったりもした。 ここに住む人はねずみよりも、木の実の方が喜ぶのだ。 不思議な事であるが、餌の取り合いにならずに済む故に助かっておる。 たまに餌を探しに森に入り、帰りには木の実をとって帰る。 そして、妖精さんの枕元において、巣に戻る。 そんな日々が続いておったのだが、どうも様子がおかしい事に気が付いた。 妖精さんは、どんどん大きくなっていくのだ。 はじめは寝て鳴いてばかりだったのだが、起きている事が多くなり。 我を見ると、あーあーと声をあげるようになった。 尻尾や耳をつかもうとするので、油断ならぬのだ。 一度、尻尾に触らせてやったら、思い切り掴んでひっぱりおった。 とても痛かったので、触らせるのは危険だと学んだのだ。 我はかしこき狐であるが故に。 大きくなり、這いまわるようになり、何か言うようになり、歩くようになり。 妖精さんは、どんどん大きくなっていく。 顔も人に近くなり、流暢に話すようになる。 妖精さんとは、成長するものだったのだ。 2度目の春が来ても、3度目の春が来ても、妖精さんは大きくなり続ける。 我など、2度目の春以降、大きくなどなった記憶もないのだが。 妖精さんは、ずっと大きくなり続けるのだ。 いつか、天をつく巨人になるに違いない。 人が敬うのも、当然と言えるだろう。 我も、失礼なきようにせねばならぬ。 ある日、いつものように、木の実を妖精さんに献上にいった時の事。 最近の妖精さんは、我が来るといつもニコニコ笑って、手を振るようになった。 人を観察して知ったのだが、人は尻尾の代わりに手を振る生き物らしい。 なので、我も真似て、前足を振る事にしておる。 我がやってくると、妖精さんは我を捕まえて、足の上にのせる。 妖精さんの好きな木の実、嫌いな木の実もよく知っておる。 喜んでおるのか、足の上に乗せると、いつも背中を触る妖精さんである。 とはいえ、妖精さんに失礼があってはならぬ。 人がするように水浴びをして、身綺麗にしてから赴く我に死角はない。 妖精さんはよく話をする。 一度、我も答えようと思うたが。 声を出した事がない事に気が付き、試してみた。 人や妖精さんのように、流暢には声が出ぬ。 奴ら、どうやっておるのやら。 我がやっても、きゅーとかきーとかしか言わぬ。 よく見て真似ておるつもりなのだが、口の中に秘密があるようで。 形だけ真似ても、きゅーと鳴るだけである。 「そう言えば、お前、名前がないね」 妖精さんがそういうので、しばし考える。 我は狐である。 縁の下に住んでいる。 名というのは、個を識別する為のもの。 縁の下に住んでいる狐、で十分我の事だと言える。 と言う事は、我の名前は縁の下の狐である。 抗議の為に、名はあると言ってやろうと思うたが。 結局、きゅーとしか言わぬ身の悲しさよ。 「名前つけてやろうか?」 だから名前はあるというておるのだが。 流石に、きゅーでは伝われぬかと。 我は諦め、未熟な自分を戒める為、尻尾をぶんぶんと振る。 疲れて痛いのだが、ふがいない自分への戒めである。 「私の名前がなつだから、お前はこなつにしようか」 妖精さんは、なつと言うらしい。 夏と言うのは、季節の名前である。 蝉や虫が増え、餌も多い頃の事。 この妖精さんは、夏を司る妖精らしい。 なるほど、いずれは豊穣の神となるのであろう。 こ、と言うのは、狐の事だと思われる。 なるほど、夏の妖精さんの住む家の狐だから、狐夏というわけである。 しいていうなれば、縁の下の狐夏である。 人風に言わば、縁下狐夏である。 納得したので、わかったと告げようとしたが。 やはり、きゅーとしか言わぬのだ、訓練不足である。 尻尾のぶんぶんを、加速させて更に戒める事とする。 その日から我は、狐夏となった。 木の実を持って、妖精さんに会いに行くと。 妖精さんは、食い物をくれる事が多くなった。 さすが豊穣の神となる方である、めぐみを分け与える事に抵抗がない様子だ。 なにより、川の中におる、魚なるものを食わせてくれるのだ。 奴ら素早いうえに、水の中では我の動きは鈍ってしまう。 これを捕まえるとは、流石であるとしか言いようがない。 そして、それを炎で焼くのだ、なんと恐ろしい事か。 炎というのは、とても熱くて、触れると痛い。 それを操るなど、神以外に出来ようはずもないのである。 妖精さんは、我が来ると沢山話をしてくれる。 人の世界の事であったり、畑なる場所で取れる恵みの事であったり。 一度野菜なるものを恵んでもらったが、齧ってみたら不味かった。 あれはただの木の根である、そんなもの食って何になるというのだろうか。 しかも、それを生み出しているというのだから恐ろしい。 夏の妖精ともなれば、草木すら生み出せるのだ。 きっとその術を人々に伝える為、妖精さんは地上にやってこられたのだ。 妖精さんが何処かに行かれてから、我は人の世界も見て回ったが。 色んな場所に、畑なるものが出来ておった。 妖術も使えぬ人が、草木を生み出す事を可能にする奇跡。 神の術とは、恐ろしきものであるという証拠である。 そのように恐ろしき術を使う妖精さんであるが。 とても優しい方で、背中のかゆい所をかいてくれたり。 寒くなってくる頃になると、妖精さんの巣である部屋という場所に住まわせてくれたりする。 ただ、少々寂しがりやであるようだ。 たまに我が餌をとりにいったりすると。 こなつ、こなつと我を呼び探すのだ。 狐は、夜行性である。 夜に餌をとるのは、当たり前なのだが。 妖精さんを寂しがらせてはいけない。 妖精さんが眠った後に、餌をとりに行くようになった。 そして、起きだす前に部屋に戻るのだ。 探さなくて済むように、眠るまでと、起きる前。 我は必ず、妖精さんの枕元に蹲る。 妖精さんは、目覚めた合図に、必ず我の背中をかいてくれる。 妖精さんが目覚めた事を認識した合図に、我は妖精さんの手を、顔でこする。 そうすると妖精さんは、おはようと声をかけてくださり、朝の挨拶は終了となる。 これが、神にお仕えする時の作法である。 我は妖精さんを良く観察した。 いずれ神になるお方、その行動を良く見るのは当然と言える。 口の動かし方や、目の形、声の出し方。 前足や後ろ足の使い方、見ているだけで勉強になるものである。 妖精さんも、人の生活というものを学んでいるようで。 おとう、おかあ、なる者の話がよく出てくる。 ここに住む人は「五郎」と「はつ」という名の番いであったので、別の者であろう。 妖精さんは、良い人になる、と言う事を目指しておられる様子。 なるほど、神は人に化けるものであったのかと、我は学んだのだ。 なれば、我も豊穣の神に仕える者、化ける事を覚えねばと心に決めた。 何故か? そんな事、当然であろう。 神が人に化けるのは、神である事が知れると危険であるが故である。 人は何でも畏れるもの、神であるなどと伝えれば畏れ逃げ出してしまう。 なればこそ、妖精さんは人に化けるのだ。 だが、神が不在であるという事は、人々に不安を与える事だろう。 豊穣の神がこの世から失せるという事は、世から恵みが失われるという事だからだ。 ジレンマである、まことにうまくいかないもの。 そのジレンマを解消するには、誰かが神の御姿で人前に出なくてはならぬ。 それこそ、神に仕える我の仕事たるのだと、知ったのだ。 その日から、我は化ける特訓を始めた。 はじめは全く上手くいかず、そもどうやったら出来るのかも理解できなかった。 とはいえ、妖精さんの為、我は影武者たらねばならぬ。 夜、餌をとる時間を削り、化ける特訓をする日々。 妖精さんは毎日恵みをくれるので、餌をとる回数を減らす事が出来たのが大きいだろう。 暦でいうところ、10年ほど修行をした。 化ける事を練習し続けておる間に、まず前段階として色んな術を学び。 狐火を操ったり、妖精さんと夢の中で遊んだりと。 少しずつ、力が使えるようになっていった。 とはいえ、完全に人に変ずる事はとても難しい事。 まだまだ、修行が必要である。 最後の日、妖精さんは一度だけ、完全な神の姿をお現しになった。 雪のように白い衣服を纏い、口元は紅色に染まっており。 肌もいつもより白く、不思議な香りがした。 何やら、沢山の人に祀られておったのを覚えている。 その姿は神々しく、なるほどこの姿が神の姿なのだなと学んだものだった。 普段の姿は、人に化ける練習をしておる仮定でしかないのだ。 影武者としては、普段のお姿に化ける事がまず一番であるが。 いつか、この姿にも化ける事が出来ねばなるまい。 あのお姿は、今でも我の目標である。 その当時の我は、まだ人に完全に変ずる事が出来ず。 妖精さんの夢におじゃまして、美しかったと伝える事にした。 何故そうしたかというと、その当時、狐の姿で声を出す事が叶わなかったからである。 声の出し方も、練習中だったのだ。 夢の中なら、意思だけで言葉が伝えられる。 だからこそ、夢に出る事にしたのだ。 「なつ、凄かったね、綺麗だったね」 我がそうお伝えすると、妖精さんは笑い。 ありがとうと、我をなでてくれるのだ。 夢の中だが、現実と変わるものではない。 「いつか、あの格好になれるように頑張るよ」 狐とは、高く跳ねるもの。 我もぴょんと跳ねると、妖精さんは笑い。 いつかね、と笑っておられた。 「こなつ、私は少し遠くに嫁ぐのだけれど、一緒に来る?」 「嫁ぐって何?」 「んー、別の家に行くって事だよ」 とつぐ、と言うのはよくわからないが。 何処かへ行かれるという事なのだろうか。 なるほど、神として、ここばかりに力を尽くしても居られないのだろう。 色んな地を回り、めぐみをもたらすのが豊穣の神の仕事である。 付き従いたい所では勿論あった、が、まだ人に化ける事も出来ず。 旅をしながらの修行は、足を引っ張る事になる。 「ううん、邪魔になるから、いかない」 「そっか、寂しいね」 そういえば、妖精さんは寂しがりなのである。 我がいなくては、寂しくてまた探し出してしまうやもしれない。 それではいけないと、我は考えた。 そして、ひらめいたのだ。 練習中だった術を使おうと。 「寂しいなら、いつでも会える道具をあげる。枕元においておくね。」 我は知っていた。 妖精さんが少し前、かんざしなる物をもらったと喜んでおった。 それに我が力を籠めれば、夢のお告げで繋がる事が出来よう。 凄く疲れる上に、当時は練習中で。 互いに道具を持たねば、繋がれぬような代物であったが。 それでも、当時の我の精一杯の力を籠め、他のものと間違えぬようにと。 我のしっぽの形をした飾りをつけ、これだから、と妖精さんに献上したのだ。 「これを付けて眠ると、いつでも会えるよ。修行が終わったら、会いに行くから。住んでる場所を教えてね」 我がそうお伝えすると、妖精さんはわかったと言ってくれ。 夢の中で、しばし遊び。 次の日妖精さんは、我の献上したかんざしをさして、何処かへと旅立っていったのだ。 その日から、今日に至るまで。 妖精さんとは、よく話をした。 勿論、夢の中でである。 妖精さんは、化ける事の達人である。 男になったり、女になったり。 老人になったり、小さくなったりする。 我は、今でも妖精さんの姿にしかなれぬというのに。 まだまだ、かの方に追いつくには修行不足のようである。 何十年かおきに、名前や声まで変えられる。 神の力とは、まこと恐ろしきかな。 神の姿になる前の姿に化けられるようになるまで、更に20年。 我はこの地で修行をし、人に化けられるようになってからは人里に降りた。 妖精さんは流石に信仰を集めておられる様子。 番う時に、女が妖精さんの姿を真似るようになっておった。 畑はそこかしこにあり、人ですら炎を使って魚を炙る術を学んでおる。 旅をしながら街を見、人を見、森羅万象を学び。 今では、天気すら操る事が出来るようになった。 それでも、まだかの方に追いつくには至らぬ。 今は、この小さな街で、修行中である。 常時人の姿になれるようになるのは、いつの日になるのだろうか。 我は今でも、それを目指しておる。 そしていつか、神の姿に化けられるようになり。 あまねく人を導くのである。 今でも恵みをもたらしてくださる、豊穣の神。 かの方が加護を下さり、使命を齎してくれればこそ。 我は特別な狐なのである。 名は縁下狐夏(えんのした こなつ)と言う。