キャラクター保管所
バックアップ
リスト
モバイル版
ヘルプ
ログイン
Twitterでログイン
登録
トップ
Webサービス
キャラクター保管所
クトゥルフ PC作成ツール
京極 幽鬼斎(きょうごく ゆうきさい)
ID:3942442
MD:92ee113ee3d06c002049f560a2b4f3eb
京極 幽鬼斎(きょうごく ゆうきさい)
タグ:
比叡山炎上
薩摩の鬼人
非表示
簡易表示
通常表示
生まれ・能力値
STR
CON
POW
DEX
APP
SIZ
INT
EDU
HP
MP
初期
SAN
アイ
デア
幸運
知識
能力値
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
その他増加分
一時的増減
現在値
STR
CON
POW
DEX
APP
SIZ
INT
EDU
HP
MP
初期
SAN
アイ
デア
幸運
知識
↑ページ上部へ
非表示
簡易表示
通常表示
SAN
現在SAN値
/
(不定領域:
)
↑ページ上部へ
非表示
簡易表示
通常表示
技能
職業P
/
(うち追加分:
)
興味P
/
(うち追加分:
)
表示
初期値の技能を隠す
複数回成長モード
非表示
簡易表示
通常表示
<戦闘技能>
成長
戦闘技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
回避
キック
組み付き
こぶし(パンチ)
頭突き
投擲
マーシャルアーツ
拳銃
サブマシンガン
ショットガン
マシンガン
ライフル
非表示
簡易表示
通常表示
<探索技能>
成長
探索技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
応急手当
鍵開け
隠す
隠れる
聞き耳
忍び歩き
写真術
精神分析
追跡
登攀
図書館
目星
非表示
簡易表示
通常表示
<行動技能>
成長
行動技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
運転(
)
機械修理
重機械操作
乗馬
水泳
製作(
)
操縦(
)
跳躍
電気修理
ナビゲート
変装
非表示
簡易表示
通常表示
<交渉技能>
成長
交渉技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
言いくるめ
信用
説得
値切り
母国語(
)
非表示
簡易表示
通常表示
<知識技能>
成長
知識技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
医学
オカルト
化学
クトゥルフ神話
芸術(
)
経理
考古学
コンピューター
心理学
人類学
生物学
地質学
電子工学
天文学
博物学
物理学
法律
薬学
歴史
↑ページ上部へ
非表示
簡易表示
通常表示
戦闘・武器・防具
ダメージボーナス:
名前
成功率
ダメージ
射程
攻撃回数
装弾数
耐久力
その他
%
%
%
↑ページ上部へ
非表示
簡易表示
通常表示
所持品・所持金
名称
単価
個
価格
効果・備考など
価格総計
現在の所持金:
、 預金・借金:
↑ページ上部へ
非表示
簡易表示
通常表示
パーソナルデータ
キャラクター名
タグ
職業
年齢
性別
身長
体重
出身
髪の色
瞳の色
肌の色
↑ページ上部へ
その他メモ
〔外見の特徴〕 黒髪茶眼の大男。 ----------------------------------------------------------------------------------- 〔出身〕 薩摩(現在の鹿児島県:桜島) ----------------------------------------------------------------------------------- 〔経歴〕 【京極 幽鬼斎(きょうごく ゆうきさい)】。幼名は不明だが、桜島で盗賊狩りをしている内に「鬼童子」と呼ばれるようになる。 生誕:天文二十一年(1552年)の九月 没年:慶長二十年(1615年)の五月 享年:六十二歳。 文献が少なく、正史書にも記載がない事から、恐らくは架空の人物である可能性が高い。 永碌七年(1564年)。日ノ本の最南端に位置する薩摩は桜島にて、「鬼童子」と呼ばれる少年は一人、盗賊の討伐に明け暮れていた。当時の桜島は薩摩を治める《島津家》 と大隅を治める《肝付家》の間に存在しており、両家の衝突場所となっていた。「鬼童子」もそんな環境に生まれたからか、物心ついた時には既に天涯孤独の身の上と なっており、そう間を置かぬ内にその地に根付いていた盗賊団の駒使いをさせられていた。 しかし、酒に酔った盗賊の一人が「鬼童子」に刀を持たせた瞬間に豹変し、その日の内に盗賊団の拠点は血の海と化した。その後、桜島では盗賊の数が瞬く間に減った。 その報はすぐに薩摩の猛将である【島津 義弘(しまづ よしひろ)】の知る所となり、真偽を確かめるべく件の地へと赴くと、そこには二等一対の手斧を背負いながら 仕留めた死体の山の上に座り込んでいる童がいた。 義弘はすぐに童を保護すると、そのまま自らの養子とすることに決めた。父の【島津 貴久(しまづ たかひさ)】や兄の【島津 義久(しまづ よしひさ)】は当初こそ難色 を示したが義弘の意思は固く、やむを得ず元服後は断絶した島津の分家筋に当たる〈京極〉姓を名乗る事を条件に認める事とした。 義久は家族達に養子縁組を認めさせると、保護した童に【桜鬼(おうき)】の名を付ける(由来は「桜」島で出会った「鬼」童子と言う事からと、文献には記されている)。 数年後の永禄九年(1566年)に桜鬼は元服して初陣を果たす。日向を治める《伊東家》が「飯野城攻略のために三ツ山城を建設中」と聞き及ぶと、義叔父の義久と歳久、 そして義父の義弘と共に城が完成する前に攻め落とそうとするが、城は落とせずまた伊東の援軍と挟み撃ちにあい、義弘は重傷を負って撤退を余儀なくされる。この時 義弘は死を覚悟したが、殿を務めると言い出した桜鬼が義父の制止を聞かずに突撃したにも関わらず、見事敵軍を打ち破って見せた。 これには義父も義叔父達も驚愕し、戦場より何食わぬ顔で帰還して来た桜鬼を賞賛した。 その翌年、桜鬼は飯野城下に住んでいる町一番と噂の村娘と祝言を上げる事となった(本来であれば、認められる事ではないが、義弘は快く承諾したとされている)。 その後も桜鬼は島津の将の一人として尽力し、元亀元年(1570年)に東郷氏・入来院氏が降伏したことで、此処に薩摩統一がなった。 二年後の元亀三年(1572年)の五月、「木崎原の戦い」にて桜鬼は義父と共に伊東家の武将や兵士達を大量に討ち取り、初陣の折りに受けた雪辱を果たす。しかし時を 同じくして、「妻が落武者に切り殺された」との訃報が届けられる。 一時は「この殺害は島津家による犯行」という噂も出回ったが、これはあまり信憑性が無いと思われる。しかし当の桜鬼はその噂を信じ込んでしまった。 元々桜鬼は出生も明らかになっていない身の上。養子縁組に反対していた、亡き島津家の前当主である義祖父の貴久と現当主である義叔父の義久にはあまり良い印象 なかったのが、この疑惑の出所だったのだろう。 その後、翌年の天正元年(1573年)に大隈を平定、更に三年後の天正四年(1576年)に日向の高原城の攻略に貢献した後、桜鬼は義父に別れを告げて島津家を去って行った。 その際、桜鬼は自らを「過去の怨みを忘れられない自分への皮肉の意味を込めて、自らの名を新たに【京極 幽鬼斎(きょうごく ゆうきさい)】へと改名する」旨を義父 に告げている(これを義弘は「島津家への当て付け」であると捉えたのか、幽鬼斎が去ることを咎めずに、義父として堂々と見送ったと文献には記されている)。 その後、幽鬼斎は大友領、四国を経て畿内へと辿り着いた。その頃、丁度畿内は天下の覇権まであと一歩という《織田家》と本願寺の門徒衆が終わりのない戦いを続けて いる真っ只中であった。 当初、幽鬼斎は島津家にて仏教に携わっていた事もあり、本願寺側に味方しようと考えていたが、指導者の権如は数ヵ月前の敗北ですっかり府抜けてしまっていた。今の 本願寺勢力では長くないと判断した幽鬼斎は、早々に本願寺を後にし、大和の国の【松永 久秀(まつなが ひさひで)】を頼った。 別に大仏を焼いたという久秀に興味があったわけではない。妻を早くに亡くし、信じていた主家に裏切られ、荒んだ気持ちを戦う事で紛らわせたかったのだ。 そうして戦いを望む様は、正に自らの名に刻んだ通りの「幽鬼」と言えるだろう。 その松永 久秀も眼前で繰り広げられた「信貴山城の戦い」でこの世を去り、再び幽鬼斎は戦いを求めてその場を立ち去って行った。傍らに転がる死体達は、久秀に協力 した事で刀を向けて来た織田兵達の成れの果てである。 だが幽鬼斎は気にも止めない。既に彼の頭の中は「戦い」か「死」かの二つしか無かった。 ----------------------------------------------------------------------------------- 〔人物〕 《島津家》に拾われ、義父の義弘に保護された際に「桜鬼」と名付けられる。「三ツ山城の撤退戦」や「木崎原の戦い」での活躍から、【薩摩の鬼人】の異名を持つ。 幼少期は桜島で盗賊狩りを日常的に行っていたらしく、島の者達からは「鬼童子」と呼ばれて恐れられていた(この時既に愛斧の「牛頭鬼」と「馬頭鬼」を所有して いたと文献には記されている)。 性格は無口で大人しく、又保護されてからの数年間は義曾祖父の【島津 忠良(しまづ ただよし)】によって様々な英才教育が施されていた。その甲斐あって島津家の 者として充分な教養を身に付けたが、一度戦場に出ると人が変わったように凶暴化し、義父の島津 義弘の言葉にも従わなくなる。 あまりの豹変振りに周囲が桜鬼を恐れて孤立するも、義弘だけは鍛練に私生活にと変わらず接してくれた。 〔〕 〔内心〕 〔覚醒〕 ----------------------------------------------------------------------------------- ----------------------------------------------------------------------------------- [キャラクターの作成法] 1.STR・CON・SIZ・DEX・APPを4d6ダイス振り、一番小さい目を取り除いた3つの出目の合計で決定する。 2.POW・INT・EDUは3d6で振り、一番小さい目を取り除いた2つの出目+6の値で算出する。 3.戦国日本では12歳での為、年齢は[EDU]歳~[EDU+12]歳の範囲で決定してよい。 加齢ルールを適用出来31歳から10歳ごとにEDU+1と技能点20を得る。31歳~(EDU+1)41歳~(EDU+2)となり上昇は上限を無視できる。 10歳加齢する毎に、STR・CON・DEX・APPから2つ選び1点減少させる。61歳以上ではそれら全てを1点づつ減らす。上限は90歳代まで。 4.術や神話呪文を習得できる職業では、技能点を50ポイント消費する事でそれらを習得できる。 5.術の習得で正気度を10ポイント以上失った場合、失った10ポイント毎に1d10をロールし対応した初期狂気得る。 6.比叡山炎上の世界では、一定の技能を割り振った武器を最低一つは所有するべきである。 7.職業に記載された方法で年収を算出する。キャラクターは年収*5の資産を持つが、これらを失うと生活拠点も失う。 [ダメージボーナス表] <STR+SIZ> <近接/投擲> 2~12 -1d6/-1d3 13~16 -1d4/-1d2 17~24 0/0 25~32 +1d4/+1d2 33~40 +1d6/+1d3 41~56 +2d6/+1d6
※
歌詞を引用、及び記載することは禁止となりました
(Youtubeや歌詞サイトのURLだけ書くことをお勧めします)。
↑ページ上部へ
エラーメッセージ
「クトゥルフ神話TRPG」は
ケイオシアム社
の著作物です。
クトゥルフ神話TRPG