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檍花 月咲(おくばな つかさ)
ID:5045806
MD:f7b401b83324cd1b4dde6e3c78b98b77
檍花 月咲(おくばな つかさ)
タグ:
雪火蛍
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生まれ・能力値
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20
21
その他増加分
一時的増減
現在値
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CON
POW
DEX
APP
SIZ
INT
EDU
HP
MP
初期
SAN
アイ
デア
幸運
知識
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SAN
現在SAN値
/
(不定領域:
)
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非表示
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技能
職業P
/
(うち追加分:
)
興味P
/
(うち追加分:
)
表示
初期値の技能を隠す
複数回成長モード
非表示
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通常表示
<戦闘技能>
成長
戦闘技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
回避
キック
組み付き
こぶし(パンチ)
頭突き
投擲
マーシャルアーツ
拳銃
サブマシンガン
ショットガン
マシンガン
ライフル
非表示
簡易表示
通常表示
<探索技能>
成長
探索技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
応急手当
鍵開け
隠す
隠れる
聞き耳
忍び歩き
写真術
精神分析
追跡
登攀
図書館
目星
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通常表示
<行動技能>
成長
行動技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
運転(
)
機械修理
重機械操作
乗馬
水泳
製作(
)
操縦(
)
跳躍
電気修理
ナビゲート
変装
非表示
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通常表示
<交渉技能>
成長
交渉技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
言いくるめ
信用
説得
値切り
母国語(
)
非表示
簡易表示
通常表示
<知識技能>
成長
知識技能
初期値
職業P
興味P
成長分
その他
合計
医学
オカルト
化学
クトゥルフ神話
芸術(
)
経理
考古学
コンピューター
心理学
人類学
生物学
地質学
電子工学
天文学
博物学
物理学
法律
薬学
歴史
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戦闘・武器・防具
ダメージボーナス:
名前
成功率
ダメージ
射程
攻撃回数
装弾数
耐久力
その他
%
%
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通常表示
所持品・所持金
名称
単価
個
価格
効果・備考など
価格総計
現在の所持金:
、 預金・借金:
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通常表示
パーソナルデータ
キャラクター名
タグ
職業
年齢
性別
身長
体重
出身
髪の色
瞳の色
肌の色
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その他メモ
◆不定の狂気:~2024/6/2 手足の痺れ。四肢を使う技能に-20補正。 ◆アーティファクト「友人の面影」 「友人の面影」にはその作成時に消費したのと同量の正気度ポイントが込められており、これを所有しているとき探索者のSAN値が0になった場合に一度だけ込められた量の正気度ポイントを回復することができる。 回復値:+10 ================================== 「私は見ているものではなく、見たものを描いているのです。」 クロード・モネ(印象派画家) 「私は音楽のように心慰めるものを絵の中で表現したい」 ヴァン・ゴッホ(印象派画家) ================================== 檍花 月咲(おくばな つかさ) ■基本プロフィール ・誕生日:3月14日 ・星座:うお座 ・誕生花:スイートアリッサム ・花言葉:「優美」「美しさに勝る価値」 ・年齢:【事前導入時】20歳(大学3年生)【本編開始時】35歳 ・イメソン: カメレオン/King Gnu 青のすみか/キタニタツヤ ■名前の由来 春のような穏やかさや自然をイメージしつつ、響きがスタイリッシュなもの(当社比)・中性的な名前にしたかったため。 檍:植物を表す文字であることから。一般的には「あおき」と読む難読漢字 月:月のように、優しく穏やかな魅力を放つ人に育つように 咲:冬を越え春を迎えた花が開くように、困難も乗り越えられるように。花笑みが溢れた豊かな人生でありますように。 ■技能について 職業:芸術家 職業技能:【言いくるめ、芸術(任意)、写真術、心理学、製作(任意)、目星、歴史、+個人的な関心技能1つ】 ・説得:キャラ解釈的に言いくるめを説得に変更 ・芸術(油彩・水彩画):【事前導入時】習い事や部活・授業などで【本編開始時】培った経験 ・写真術:高校の部活などで ・心理学:大学の一般教養科目で学んでいる。心理学は芸術にも結びつくものがある(例:芸術心理学など) ・製作(油彩・水彩画):【事前導入時】大学では日本画から洋画、さまざまな絵画について学ぶため全般的に製作可能だが、特に油彩と水彩が得意。【本編開始時】培った経験 ・目星:培った観察眼・審美眼 ・歴史:美術と歴史は切っても切り離せないので深く学んでいる ・他の言語(イタリア語):【事前導入時】一般教養科目として履修している。アーティストとしての活動拠点になり得る可能性として海外も考えられるため。【本編開始時】15年間イタリアで活動していて身についた。言葉を教えてくれた人もいた。 興味技能 ・聞き耳:小さい頃からオーケストラの音を聴いているため、耳は良い。五感も優れている。 ・目星:趣味でも絵が好きなので、興味技能でも割り振っている(培った観察眼)。 ・図書館:勉強熱心な性格から ・他の言語(イタリア語):小さい頃イタリアに住んでいたことがあるので自然と身についた。職業技能と2箇所で割り振っている。 ■詳細プロフ ・一人称:【事前導入時】公共では『僕』。その他の場面では『俺』【本編開始時】公共では『私』 ・二人称:目上は基本苗字にさん付け。親しい友人は下の名前を呼び捨てorあだ名。 ・趣 味: →散歩。自然を見るのが好き。 →音楽や観劇など、絵以外の芸術に触れることも好き。そこから得られるインスピレーションもある。もちろん、美術展へ足を運ぶことも多い。 【事前導入時】だが、導入時現在はあまり趣味に勤しんでいないようだ。 【本編開始時】芸術都市ミラノに住んでおり、度々芸術に触れている。それは勿論、作品制作に欠かせないインスピレーションのためであったり、趣味や楽しみとしてでもあったり……そして、自分を芸術家として生かしてくれた、友への答えに近づくためでもあったのだった。 ・好きな食べ物: イタリアの家庭料理(ミネストローネ、オムレツの野菜ソースがけ、アクアパッツァ、カツレツ、カルボナーラ、パネトーネ)【事前導入時】カミロと一緒に食べたカフェのメニュー【本編後】ワイン、チーズ 和食(鯵の南蛮漬け、肉じゃが、ぶり大根) ・嫌いな食べ物: あまりないが、辛いものや刺激物は好んで食べない ・恐れているもの: 【事前導入時】SNSや人々の批判の声、厳しい視線、自分の技術力(低下してるのか?停滞してるのか?なんなんだ?) 【本編開始時】カミロ(今カミロはどうしている?あの日の出来事は…?彼の真意は?)、『木漏れ日』の絵画、自分の選択(手を取るのか?取らないのか?) 【本編後】時々、生きることや孤独・時間の流れが怖くなる。 ・信じているもの: 【事前導入時】両親、他はわからない(今は自分のことも信じられない) 【本編開始時】両親、自分の努力、『木漏れ日』の絵画 ※カミロのことは信じたい反面、分からない。 【本編後】カミロとの思い出や約束、命運を共にした仲間たち、自分の選択 ・好きなクラシック音楽やなじみのある曲: ブラームス/交響曲第1番(明るく力強い曲調が、気持ちの奥底にある何かを奮い立たせてくれるような気がして好き) チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 第1楽章(父と母の思い出の曲でよく聴いている) ドビュッシー/喜びの島(絵画からインスピレーションを受けて制作された音楽のため知っている) ドビュッシー/海(絵画からインスピレーションを受けて制作された音楽のため知っている) …など。表現は違えど同じく芸術である音楽は、絵画とも深いつながりがある。 ・その他: 【事前導入時】男子用の大学寮に住んでいる。芸術に関する学部が様々あるが、美大生向けの共用アトリエルームつきの寮で暮らしている。食堂もあり朝晩の食事はそこで済ませている。 【本編開始時】かつてカミロが用意してくれた邸宅に住んでいる。地下の工房付き。リビングは2段構造で、トイレは子供部屋並みに広い。 ================================== ■経歴 □中学以前 イタリアの幼稚園を卒園。両親は日本人のため、家庭内では日本語を、幼稚園ではイタリア語を話していた。 日本の公立小学校に入学し、水彩画クラブに所属していた。 この頃の絵はクラシック音楽から着想を得た絵を、思いのままに描くことが多かった。 □中学 私立を受験。授業はどの科目も全体的に高評価だったが、美術の授業は特に評価が高く、作品・筆記試験ともに成績が良かった。 部活は美術部。デッサンの基礎・水彩画の基礎・構図の基礎を中心に学ぶ。風景画、静物画などが得意だった。 全国規模のコンクールに水彩画部門で毎年応募し、入賞。 3年次にはグランプリは逃したものの、自然や風景を的確にとらえて描画する点、繊細な表現は高く評価され準グランプリに輝いた。 □高校 中学の時のコンクール入賞経験を評価され、美術推薦で美術科のある高校に入学。 専攻は洋画。基本科目に加えて油彩画・アクリル画を学んだ。 画材が変わることで初めは苦労したものの、中学の頃に比べてより表現の幅が広がり、独創性が増す。様々な技法を取り入れることで、一層繊細で幻想的な作画が可能となった。 作品の特徴としては、パステルのような優しい色味を多く取り入れ、明るい画面に仕上げる傾向があった。 コンクールは国際コンクールに応募し、優秀賞を受賞。幻想的な光の表現や、繊細で緻密な作画、やさしい作風が評価された。 部活は写真部。気分転換も兼ねて大好きな自然を感じられるものにした。散歩も好き。 気分転換と言いながら結局、作画対象になりそうな自然や景色をファインダー越しに観察していた。 〈主に用いていた絵の技法のメモ〉 グレーズ技法、スカンブル技法、スパッタリング技法が得意。 ※グレーズ技法:絵の具をとても薄く溶いて、透明な絵の具を重ねていく技法。非常に透明感が高く美しい絵肌に仕上がる。 ※スカンブル技法:グレーズが透明度が高く下の絵の具の層をほぼ完全に透かせるのに対し、透明ではなく半透明の絵の具を重ねる技法。 ※スパッタリング技法:絵の具をかなり薄めてから筆につけ、指などで弾くことで絵の具を飛び散らせ、画面に乗せる技法。 □大学 芸術大学の美術学部・絵画専攻。特に油彩画を中心とした科目を履修している。 1~2年の基礎課程が修了し、より専門的な課程を現在履修中(事前導入時)。基礎を踏まえた上で、自分らしさの表現を追求する課程。 詳細は後述参照。 ☆東京都在住。多分吉祥寺とか三鷹あたり(事前導入時) ☆実家は神戸。檍という苗字は神戸市の苗字らしい。 ☆日本では神戸市が、文化芸術創造都市の1つに認定されている。 □事前導入時から以降の経歴 後述の通り ■絵画の作風 光や空気感をとらえた絵を描いている。印象派。自然そのもの、自然と人にフォーカスした作品が中心。 柔らかい筆のタッチ、明るくやさしい色彩が特徴(【事前導入時】故に見る人の心にあたたかい何かを残したり、希望を与えたりするかも知れない…という感じになって欲しいが、導入次第なので定かではない←【本編開始時】多分なった)。 『見る人の想像や自由な印象に委ねたい』という思いから、作品名は比較的シンプルにしている。 ================================== ■人生背景(小学生まで) 俺は昔から気の小さい子供だった。 人前で話すのは苦手だったし、自分の意見もあまり言えない子供だった。 両親は有名な音楽家だ。父が指揮者、母がコンサートマスターで、2人とも繊細な音を奏でる魅力的なアーティストだ。 2人の活動拠点がイタリアだったため、俺は一時期イタリアに住んでいたことがある。 両親は最初、俺に音楽の道を歩ませようとした。家族ぐるみで音楽家になれたら、どんなに嬉しいだろうかと。 けれど人前で話すことも難しかった俺にとっては、演奏や指揮など到底叶わぬ夢物語だった。無理にやらせても意味がないと判断した両親は、半ば悲しそうに諦めた。幼心にそれがショックだったのを憶えている。 イタリアでの生活も、当時は少し辛いものがあった。 フレンドリーで積極的、陽気なイタリア人の性格はとても素敵だったけれど、気づくと俺の内気な一面が増してしまっていた。 周囲が楽しそうにしているから、嫌なことがあっても我慢しよう…そんな風に自分を抑える子供だった。 その様子を見た両親が、将来を心配して日本に帰国させることを決めた。父さんは指揮の仕事があるため、母さんと2人で日本に移り住むこととなった。 母さんは、日本ではヴァイオリン教室の先生として働いている。時々小さなオケで演奏することもある。 「私の夢はね、ヴァイオリン以上に、素敵な家族をつくることなのよ」 母さんはそう言ってくれたし、毎日楽しそうに笑っているけど…俺が枷になったんじゃないかと、今でも時々考えることがある。 * * * * 暫くして、日本の小学校へ入学した。 4月はじまりで入学式があるというのは新鮮だった(イタリアは入学式がないらしい)。 桜の花もとても綺麗で、不安ながらもこれから始まる新しい生活に心が躍っていた。 けれどイタリアの幼稚園に通っていた俺は、日本の小学校が違う文化であることに驚いて、馴染むのに時間がかかった。 言葉はさほど困らなかったが、イタリアとは勝手・景色の違う街の中を1人で通学するのは少し怖かった。 1番戸惑ったのは給食だった。食文化というのはどうも、国によって大きな違いが出るらしい。同じ班の人に、自分の知っている常識と違う点について質問をしてしまったのがあまり良くなかった。俺は変わり者と思われてしまった。 休日の感覚や行事も違うし、新鮮で楽しい側面もあったけど、慣れるのに大変だった記憶の方が強い。 それに、俺は当時の男子にしては珍しい名前だった。今では両親がつけてくれた名前の意味も響きも気に入っているけど、小学生の頃は揶揄われる種となってしまった。 気づくと俺は教室の中で浮いた存在になっていて、話しかけてくれる子は数人いたけど、殆どの時間を1人で過ごしていた。 俺のことを考えて日本に帰ることを決断してくれた母さんに、そんなことを知られたくはなかった。 「学校はどう?」 「うん、楽しいよ。今日はみんなで校庭で遊んだんだ。」 夕食の時のそんなやり取りが、ちょっぴり心が痛かった。 * * * * 夏休みに入ってから、父方のおばあ様の家がある神戸へ行った。その時に神戸の名所らしいオルゴール美術館に連れて行ってもらったことがある。 緑豊かな森の中に佇む一軒家。中では色んなオルゴールや楽器が、耳に心地よい音色を奏でていた。その光景がとても素敵で、印象に強く残ったのだろう。 その日の晩、夏休みの宿題である絵日記に、昼間に見聞きした世界を描いた。色鉛筆で様々な色彩を、1ページに落とし込んでいく。 おばあ様が、目を丸くして絵日記を描いている様子を見つめていたことを今でも憶えている。写真を撮ったわけでもないのにオルゴール美術館での様子がよく表現されていて、何より多彩な色使いが幻想的だったらしい。 俺の画家としての人生は、そこから始まったんだ。 * * * * 手先が器用だった俺は絵日記をきっかけに画才を発見し、喜んだ両親が絵画教室に通わせてくれた。 教室で最初に通ったクラスは子ども向けのカリキュラムだったが、すぐに中高生クラスに移ることになった。 俺自身も描くことがとても楽しかったし、何より母さんや先生が喜んだり、褒めてくれるのが凄く嬉しかった。時々イタリアに住む父さんに絵葉書を描いては送っていた。 音楽の道では両親をがっかりさせてしまったけど、俺が絵を描くと喜んでくれるのが嬉しくて、気付けば学校の勉強以外の時間は殆ど絵に費やすようになっていた。 ある時、学校の担任の先生に薦められて、夏休みの宿題にした水彩画でコンクールに応募した。 その時題材にしたのは、クラシック音楽から着想を得たものだった。小さい頃からオーケストラに馴染みのあった俺は、音楽と絵を結びつけることもしばしばあったんだ。その絵は入賞して、3学期に入る頃の全校集会で表彰してもらえた。 けどそれをよく思わなかった同級生からの当たりが、次第に強くなっていった。 俺は目立つのが怖くて、学校ではなるべく絵を描かないようにして静かに過ごした。既に水彩画クラブに入っていたけど、それ以外の場面では読書をしてやり過ごしていた。 ================================== ■人生背景(中学〜高校) 中学は私立を受験した。 小学校の同級生はいなかったから、お陰で肩身の狭い思いはしなかった。部活は美術部に入って、好きなように絵を描くことを楽しんだ。 けどやっぱり小学校の時のことが怖かった俺は、友達の意見ばかりを優先して自分のことを後回しにし、気持ちを押し込めがちだった。 段々辛くなってきて、塞ぐことが増えていった。友達や家族の前で無理をして笑っているうちに、人と話すことにも疲れてしまった。 でも不思議と絵を描くことは楽しめた。むしろ人に話せない気持ちを絵に落とし込むことで癒される、そんな自分がいることに気が付いた。 キャンバスと対話しながら、水の量や絵の具の量を変えていく。どこに何を描くか、現実にとらわれない色彩をどう乗せていくか。 そうして考えて描く時間がとても幸せで。絵は、確かに俺の友達だった。 少し暗めの色使いをすることも増えたけど、どこか暗くなりきれなくて、基本的には画面は明るく仕上がっていた。 散歩も好きだったから、よく近所の公園に通ってその風景を描いていた。そうして1人になれる時間は凄く落ち着くものだった。 時々同じようにスケッチをしているお姉さんや、小さなアコーディオンやハーモニカを奏でているお爺さんに出会ったりもした。 俺の歳で公園に通いながら絵を描く子供は珍しかったからか、よく話しかけてもらっていた。彼らと一緒に、目の前に広がる風景や自分の好きなものについて語る時間が好きだった。 その時聞いた話『好きなことをして好きなように、自分に素直に生きていく』そんな生き方に憧れを抱くようになった。何より、実際にそうしている彼らの表情・雰囲気が柔らかくて、幸せそうで、とても素敵だったから。自分もこんなふうになりたいと思った。 …俺は絵が好きだから、絵を描いて生きていきたい。 * * * * 高校は美術科のある学校を受験した。幸いにも中学の頃にいくつかコンクールに応募し、賞を取った経験が生きて美術推薦を受けることができた。 カリキュラムは基本科目に加えて、絵をより深く学べる内容だった。美術史やデッサン・油彩画・アクリル画の基礎、実技などの授業が充実していた。 俺はこれまで水彩画をやっていたから、最初は画材や描き味が変わることに苦戦した。けど色んな技法を学んでみて、自分に合った描き方が油彩画でも出来ることを知った。そうしてより幅の広い画面づくりができるようになって、ますます絵を描くことが楽しくなった。 また、絵はただ上手いだけではやっていけないということを理解し始めた俺は、俺だからこそ描ける絵を追求した。 よく分からなくなって疲れた時は、気分転換も兼ねていた写真部での活動を楽しんだ。散歩をしては花や風景を撮影する。 気づくとスッキリとした気持ちになって、自然とまた筆をとって動かしていた。 友達も中学の頃よりは随分多くなって、学校生活が楽しいと思えるようになった。多分、絵という同じものを好きな人間にしか分からない何かが、そうさせたのだろう。 コンクールも学校も順調で、間違いなく人生で1番輝いていた時期だった。 ある日。授業の一貫で美術館に行った時のことだ。俺はそこで、1枚の絵と出会った。 その絵はチャリティ目的に描かれたもので、仄暗さがありつつもやさしい明るさのある1枚だった。俺の目には、人の悲しみに寄り添いながら、決して強すぎない希望を見出している絵…そんな風に映った。 プレートを見ると聞いたことのない駆け出しの画家のようだったが、俺はその絵に惹かれて、暫くそこを動けなかった。きっと同じように感動した人々が大勢いて、美術館に展示されるまでに至ったのだろう。 何より、俺自身もこの絵に救われた思いだった。高校は楽しく過ごしていたけど、心のどこかに曇りがあった俺にはその絵がとてもあたたかくて。気づくと涙が頬を伝っていた。 その絵は、俺の夢となり憧れとなった。俺もこんな風に誰かの心に寄り添える、そんな絵を描ける人間になりたい。 ================================== ■人生背景(大学入学~現在) 大学はもちろん芸術大を受けた。日本でトップクラスの学校に無事合格し、通学のために上京した俺は忙しい日々を送っている。 入学して良い意味で驚いた。やはりトップクラスなだけあって、全国から非常にレベルの高い学生たちが集まっている。母校(専門高校)もなかなかの猛者揃いだったが、規模が違う。 良い友人もできた。互いに作品の良いところを評価したり、もっと伸ばすためのアドバイスをしたり。もちろん、くだらない話もする。日々切磋琢磨しては、知識・感性・技術…色々なものを磨いていった。 大学には他に音楽系の学部もあり、定期的にコンサートが行われた。時間が許せば鑑賞し、クラシック音楽にも相変わらず触れていた。 学科外の時間は、寮の賃料を自分で支払うと決めたからバイトをしている。大学併設の美術館でのアルバイトだ。課題をこなしながらでもやりやすい。 きっと何らかの刺激を得ることも出来るだろうし、将来の参考にもなるだろう。画家として生きて行くためには兼業が必要で、視野に入れているのは美術館の学芸員かコンセプトアーティスト(※)だ。その2つを比較すると、俺には断然学芸員のほうが向いているだろうから、そういう意味でも役立つことがあるかも知れない。 ※コンセプトアーティスト:ゲームや広告・映画などの映像作品のビジュアルコンセプトを絵に描いて視覚化する職業。 幻想的な絵が得意でもあるため、今後の展望としても悪くはない。だが、デジタルイラストが用いられることが多い(油彩や水彩もなくはない)。 ただ、美術館でのアルバイトだけでは生活費は賄えなかった。課題をこなす傍ら、販売するための作品制作もすきま時間を見つけて行っている。 何人かの学生が有志で集い、貸しギャラリーでの展覧会を定期的に開催している。SNSで集客し、作品に価格を設定して展示すれば、気に入った人が購入できる仕組みだ。 油絵は通常、キャンバズのサイズ単位である「号」を使用した号単価で価格を決めていく。1つ1つが万を超えることが前提だから、上手くいけば数か月の生活費になる。全部ではないけど、はじめの頃は売れることもあってあまり生活には困っていなかった。 だが、学科でのカリキュラムが進むにつれてスランプに陥った。迷いが出たり、自分らしさの表現につまずいたり。 芸術は元々正解のない世界だから、余計に分からなくなった。次第に自分の絵の良さがなんなのか、はっきりしなくて不安に襲われるようになった。 貸しギャラリーでの展覧会でも、自分の作品が売れないことが増えてきて焦りに拍車がかかった。 生活が懸かっているから、定期開催の展覧会の他にも臨時で作品を販売しようと、いくつかの方法を試した。 アート通販サイトに登録したり、SNSで発信したり、フリマを利用した路上販売も行った。業者などに直接交渉もしてみた。 だが、どれも殆ど評価されることはなくて…。それどころか、これまであまり触れてこなかった”批評”という恐怖に直面している。 学科で受ける評価とは全然違う。悪意を感じるものもある。世間の目に広く自分の作品を公開したことで、様々な意見が目に見えるようになってしまった。 「何というか、絵は確かに綺麗だけど…激情や刺激を感じないんだよね」 「うーん。高いお金を出して買おうと思えるほどの、引き込まれる何かがないっていうか。」 「所詮は若造だな。絵は人を語るんだよ。大した苦労してきてないね」 「インパクトがない気がするなぁ」 「ふぅん。綺麗だね」 「強い個性がないよねぇ。見れば一発でこの人だ!って分かるようなものがないというか。」 「まぁ、絵画ってちょっと難しいですよね。なかなか売れなくても仕方ないですよ」 個性ってなんだよ…何をどうしたら所謂"個性的"になるんだ。 インパクトってなんだよ。そんなに衝撃を受けるような、強い画面づくりじゃないといけないのかよ。 以前までは、絵は確かに俺の友だちだった。暗い毎日を彩ってくれるような、見ていて明るい気持ちになる…そんな世界を創りたかった。それじゃダメなのか? 見たくない。見たくないのに、見てしまう。 SNSを閉じればいい話なのは分かっているのに、一度見始めると止まらない…。 世の中の殆どが敵に見えてきた。路上販売をする時も、人々の視線が否定的な目に見える。 こわい、怖い、こわい。 これ以上売れなかったら生活が成り立たなくなってしまう。両親にこんなこと、絶対に知られたくない。 美術館でのバイトを増やした。そちらを増やせば増やすほど、制作にかけられる時間が減っていく。販売チャンスも逃げていく。 かろうじて作った時間で描けど描けど、売れ残る一方だった。 俺、何のために絵を描いてるんだ? 人に評価されなかったら、描く意味なんてない。それが画家の世界だ。 昔は確かに絵を描くのが楽しかったのに、なんで楽しかったのか分からない…結局は人に評価されていたから楽しかったんじゃないのか。 俺の問いかけに答えてくれていたキャンバスは、最近何をどうしても答えてくれない。 筆が乗らない。構図もこれといったものが浮かばないし、線にも迷いがあって、絵の具が思うように乗らないんだ。 俺の世界が、ぼやけていく。ひどく醜く、崩れていく。 「所詮は若造だな」 「飾ってもただの背景だろう」 「ありきたりだな」 混ざっていく色と色。馴染み合わない、淀んだ画面。 キャンバスから、俺の手から色彩が失せていく。 俺の、俺の手は……こんな絵しか描けないのか。 俺に一体、何が描けるっていうんだ。 ================================== ■個別導入で販売するかも知れない作品タイトル ☆下記の2枚は、導入の直前の時期に新規で描いたってことにしたいかも ・『道』…もう一度ちゃんと描いてみようと筆をとった絵。中学生の頃に通っていた公園の絵。 ・『木漏れ日』…上記に同じ。公園の絵。 ☆下記は量があるので、どの絵をどの時期に描いていて…などを個別導入時に相談したいです! ・『移ろい』 ・『息吹』 ・『昼下がり』 ・『桜』 ・『雛菊』 ・『山紫陽花』 ・『紅葉』 ※作品の詳細は別途PDFを参照 <導入前に考えてそうなこと> 絵画ってなんだろう。 俺は何が良くて、絵を描いていたんだろう。 自分の気持ちを乗せられるから? 夢を込められるから? 人に夢を見せられるから…? 俺の絵はまだ、人に夢を見せられるような絵じゃないんだろう。 ・・・俺がそれを失くしているんだから、当然だ。 画家ミレーが遺した言葉にこんな言葉がある。 『他人を感動させようとするなら、まず自分が感動しなければならない。』 『そうでなければ、いかに巧みな作品でも生命をもたない。』 最近の俺は、生活や金銭の不安ばかりで、まともに自分が気持ちを込めて描いた絵なんてなかった。 自然という生命を描いているのに、そのキャンバスは生きてなかったんだ。 『芸術とは見えているものを再現するのではなく、(見えないものを)見えるようにすることだ』 (画家パウル・クレー) 俺が見ている、俺にしか見えていない世界。 ・・・描きたい。きちんと、もう一度。『絵で生きていきたい』そう思った原点の場所を。 思えば中学生以来、あの場所は描いていなかった。今の俺が描いたら、どうなるだろうか。 あの頃とは違った景色が見えるんだろうか。 描いてみよう、もう一度。逃げずにきちんと、向き合って。 キャンバスに生命を。 俺の思い描く世界を。 今の俺に、どんな絵が描けるんだろうか。 ================================== ■事前導入後の追記 「12人目か。では、やれ。」 何が…起こってる? 目の前で人が実験台になっている。彼は…息絶えているのか? 研究員…協力者だと言った。けど、だからと言ってこれは…?それに彼は暴れている、本当に同意しているのか?いや、同意していたとしても…。 国府さんは何をしたんだ?死に値するようなことをしたのか?なぜそれをカミロが決めているんだ? 「私を悪だと思うか?」 「何事も、終わりが最も美しいと思ったことはあるか?」 「いつかその作品を誰もが忘れてしまった時、美術品は完全なる死を迎える」 「作品が忘れられないために、私は永遠であるべきだと思う。それが私の夢だ」 この人は。俺の恩人だ。そして友だ。 俺の才を見出し、手を尽くしてここまでやってくれた。 俺は整えられた舞台に立っただけだった。そこで輝けたのは俺の才能なのかも知れないが、俺には舞台を整える力なんてなかった。 カミロのお陰でここまでこれたんだ。 …俺は、5年間一体何を見てきたのだろう。 彼の何を見てきた?彼の何を知っているんだ? これが、本当にカミロなのか? 「月咲。次は、私の夢を叶えて欲しい」 何故俺は、あの時彼の問いに曖昧に答えたのだろう。何故止められなかったのだろう。 …何も知らない俺が、頭ごなしに否定したくなかった。ずっと俺を肯定し続けて、背中を押してくれた人を、何もわからずに否定したくなかった。 ただ、本当の彼を知りたかった。理解してやりたかった。 それだけだったのに。 * * * * それからの俺は、忙しない日々を過ごしていた。 公募展の最優秀賞受賞者として、しばらくの間雑誌など誌面に取り上げられた。 受賞した作品『木漏れ日』についてのインタビューは勿論、これまでの経歴や絵を描くようになったきっかけ、日本でのコンクール受賞歴、(両親が有名で苗字で分かるので)両親や音楽という別の芸術についてなども聞かれ、掲載された。 かつて在籍していた芸術大でも公募展での一大ニュースが取り上げられた。 5年前に日本を飛び出したとき、俺は美大での学びを捨てきれず、教授や母さんを説得して残り1年半のカリキュラムを通信制に変えさせてもらっていた。幸い、3年次の後半と4年次の1年間は卒業制作が殆どだったから、認可されたんだ。 イタリアで経験を積みながら制作をこなし、なんとか無事卒業はしたものの、友人たちとはあまりにも唐突の別れだったから、正直複雑な気持ちにさせたとは思う。けれど、「夢を追うためなら応援するよ」と言って送り出してくれていた。 時間はかかったけれど、その友人たちや教授にも嬉しい報告ができて良かった。 両親にも公募展でのことを連絡した。母さんは電話越しで少し泣いていた。 2人とも音楽という芸術の道に生きるプロだ。成功するか分からない・失敗することのほうが多い芸術の道。思い切りも必要だと分かっているとはいえ、息子が大きな行動をとることに不安はあったに違いない。散々心配をかけたけど、ようやく親孝行ができた気がした。 母さんはまたイタリアに戻って父さんと暮らしている。ヴァイオリン奏者としてはブランクがあるけど、母さんならどんな形にせよ、いずれプロの世界に戻れるだろう。 俺は父さんと母さんに、2人の肖像画を描いて贈った。いつか一人前になったらそうしたいと、実はずっと心に秘めていた。風景画に小さく描くことはあれど、人物をメインに描くことのない俺は、これ以外に肖像画を描いたことはなかった。 家族3人。同じ屋根の下ではないけれど、同じイタリアに住み、それぞれの芸術へ進んで行った。 俺は順調に画家としての道を歩み始めていた。 公募展後に画廊から声が掛かり、定期的に展示のための絵を描いた。 自身でも制作をしては画商に売りに出し、様々な場所で飾ってもらえた。依頼も増え、要望に合わせたものも多く描いた。 他所の国が災害に見舞われた時には、チャリティーの絵を描いた。高校の頃に美術館で見たあの絵画のように、俺も何か出来ないだろうかと。それで得た売上金を、支援金として寄付した。 絵画に馴染みのない人の敷居が下がるよう、小さなキャンバスの作品…比較的安価なもの(と言っても名が売れている上、安売りをするものではないので十分高価だろうが)も新たに制作した。 そんな風に活動していくうち、俺は芸術界で名をあげていった。 誹謗中傷の多かったSNSは嘘であったかのように評価の声に変わり、フォロワー数は、今では桁違いに増えている。 プロとして、絵で得た収入で食べて行けるようになった。 嬉しい、嬉しかったんだ。 でも、あの日のことが、いつも心のどこかに引っかかっていた。 あの日からカミロは俺の元を訪ねて来なくなった。 何でだ?何故尋ねてこない? 罪の意識があるのだろうか。あの地下での出来事に負い目を感じているのだろうか。 俺はあの日のことを、どうしていいか分からなかった。 意を決して、異形と化した国府さんのこと、一連のことを警察に相談した。人の死の上に芸術があってはいけない、これ以上の犠牲を出すべきではない…そう思い、カミロに申し訳ない気持ちを押し殺して駆け込んだ。だが相手にされなかった。俺も立場があるから…それ以上は、追及しなかった。 両親や友人ら、教授たちにもこんな話をするわけがない。要らぬ心配をかけるに決まっているし、話に現実味がなさすぎる。生物がキュビズム絵画のごとく異形と化すだなんて、誰が信じるだろうか。 当のカミロ本人は音沙汰なし。 …どうして俺にあの実験を見せたのだろう。俺に理解して欲しくて話したんじゃないのか? エテルノ美術館となる前に話しておきたい、そう言ったじゃないか。なのになんで、俺の前から消えたんだ? あの日、カミロは確かにこう言った。 「その作品を誰もが忘れてしまった時、その作品は死を迎えてしまう」 「彼らは肉体を捧げ、私は魂を捧げる。人類が永遠を達成するにはこれしかない。」 「私の夢は、全ての作品が永遠にこの世界に在り続けることだ」 魂を込めて作品を描く。そのキャンバスが生きるように描く。描いたキャンバスからは生命が溢れている。 …それらは分かる。描いた絵は、確かに"生きて"いる。魂を込めるというのは、そういう意味でなら分かる。 人々に忘れ去られた時、それが作品の死であるというのも理解できる。 だがカミロの場合は………魂を捧げるというのは…………。 俺たち芸術家が、人の命を決める権利なんてあるのだろうか。作品の保存のために、13人もの犠牲を強いてすることなのか? けれど、言えなかった。 今にも筆を折ろうかという時…辛い時に唯一俺を認めてくれた、救ってくれた…一緒に泣いてくれたカミロを前に、カミロを否定するなんて…。絵を、人生を散々否定されてきた俺にそんなことは…無理だった。出来なかったんだ。 頭が真っ白だった。目の前で起こっている現実味のない現実、隣に立つ人物を信じたい気持ち、真意が分からないことの不安…何をどうしていいか分からず、ただ呆然と見つめていた。 …俺が見ていたのは、"人殺し"の現場だったんじゃないか。理由が何であれ、あんなこと許されるはずがない。 それを"黙って見ている"というのは…止めずにいるのは、世間から見たら共犯も同然なんじゃないのか? 段々と恐怖が増してくる。後から気づいたこの事態を、俺はどうしたら良いのだろう。 俺からカミロに連絡を取ることはなかった。自分の中で答えが出ていない以上、どうしたら良いか分からないからだ。 ヴァンニ家の別荘に赴くこともなく、ただあの日の記憶を遠ざけて、なるべく日々を普通に過ごすことに徹した。 …でも、時折夢に見るあの光景が。公募展の運営から俺の手元に返還されたあの絵が、完全に忘れさせてくれることなんてなかった。 『木漏れ日』は俺にとって、忘れられない作品となった。 * * * * Xヶ月?X年?後ー 変わらず筆をとる日々を続けていた。随分と仕事も増え、絵だけで生計を立てていた。 雑然としたアトリエの奥隅には、布をかけられ、埃を被った絵があった。『木漏れ日』だ。 今では別の代表作とも言える絵が他にいくつかあるが、この絵は俺にとって特別だった。何にも変え難い感動と懐かしさ、恐怖が同時に湧いてくる作品。 俺はこの絵を遠ざけることで不安を打ち消し、目を逸らしてきた。恐怖に苛まれていては、創作など出来ない。一度名を挙げるとそれはそれで苦労がつきもので、そこから落ちぶれるわけにはいかず、描くことに集中するためだった。 だが、その絵を取り出す日がやってきた。 カミロの部下らしき者からアプローチがあった。エテルノ美術館に展示するため、『木漏れ日』を送ってもらえないかと。 正直躊躇した。俺が地下のラボラトリーを見た時点で、りんごなどの静物に対しての止薬の効果は実証されているように思えた。 今頃は完成していてもおかしくない。この絵をどうするつもりか分からないが、止薬を使われる可能性も少なくはない。 止薬を使えば…この絵は、本当の意味で誰かの犠牲・血の上に出来上がった作品となってしまう。劣化することはなく、永久にその呪いをつけることとなる。 あの日地下でどんなことが起きようと、俺にとっては人生を切り拓いた思い出の絵でもあった。その絵を、自ら汚すことなんて…したい筈がなかった。 けど同時に、逃げてはいけないとも感じた。 今ここで断れば、俺は二度とカミロと会うことはないのだろう。永久に胸の内にあの日の恐怖を抱えたままだろう。 この恐怖から抜け出したい。そして、カミロの真実を知りたい。 それに……カミロのことを、信じたい。友人として、「展示する」という交わした約束を果たしたかった。 覚悟を決めて『木漏れ日』を送った。 …これが世間的にどんな意味を成すのか分からない。共犯者?賛同者?考えれば考えるほど、恐ろしかった。 この絵に何があろうと、描いた時の純粋な気持ちは変わらない。作品や絵に罪はない…そう言い聞かせた自分の手は、少し震えていた。 気付けば不甲斐なく泣いていた。 願わくば、キャンバスに描いたあの木漏れ日が、やわらかな希望となってくれますように。 * * * * 10年後ー 2021年10月初頭 一通の手紙が届いた。恐らくカミロだろう。 エテルノ美術館の招待状が添付されている。 「私の手をとってくれ」 10年ぶりの友人からの連絡。複雑な心境だった。今まで一体何を思って俺の前から消え、何を思って今、再び俺の前に現れようとしているのだろう。 手をとるというのはどういうことだろう。 作品や美術館を永遠にすることに賛同して欲しいということか? ただ理解者としてそばにいて欲しいのか? それとも、一緒にその夢を遂げて欲しいということか? カミロの手を取ることがどういうことを意味するのか、それが分からない俺じゃなかった。 けど同時に、もしこれがカミロの助けを求める声だったら?そんな考えも浮かんでいた。 10年前、カミロが確かに、こう言っていたことを思い出す。 「5年もの研究を、たった1人の要員で無に帰すところだったのだ」 「君の作品と出会って、その思いはより強くなっていった」 「君の創造物がいつかこの世界から消えてしまうことを考えると、耐えがたい苦痛がこの身を襲うのだ」 俺は…カミロの光になれないのか? 絵で多くの人の心を救いたい…だから俺は、自然や光を描く画家になったんだ。自分が絵に救われたように。 実験が始まったのは、俺の記憶が正しければ、俺とカミロが出会った頃だ。実験についての倫理観を問われれば、俺はカミロの味方には到底なれない。 だが、カミロがもし・・・俺の絵に影響を受けて、よりあの実験が激化したのだとしたら?俺が描き続けるから…カミロが苦しんでいるんじゃないのか? 俺を救ってくれたカミロが、苦痛に襲われ辛い日々を送っているのだとしたら。俺はカミロを救いたい、救いたいのに。 止薬の存在を知りながら送った絵。1人の男を激化させてしまったかも知れない事実。 俺は……絵を描いていて、良いんだろうか。 このままでは、カミロがいずれ身を滅ぼしてしまう。けれど、止薬による多くの犠牲をとることも出来ない。 ……考えれば考えるほど、苦しくて仕方がない。 どうすれば良い?あの日と同じように、躊躇している自分がいる。 けど10年前、自身の意思を持たないこと…主張しないことの恐さを、あの実験室で思い知った。 答えを出さなければいけない、もうはぐらかせない。 美術館に行けば、自ずと答えは出るだろう。既に俺の作品も預けているんだ。とっくのとうに、無関係ではいられなくなっている。 会いに行こう。そして決断する。 かつての友を救うか、見捨てるか。 美しかった日々が思い起こされる。カミロと出会って、ミラノで共に過ごした5年間。 俺には、カミロにきちんと伝えたいことがある。 行こう。エテルノ美術館へ。 友人の真実を知るために。 * * * * ■現時点での考え 絵画は元々、一瞬を切り取るための手段のひとつでもあった。カメラがまだ発明される前、その時の様子・一瞬をキャンバスに描くことで、思想や気持ち、記憶を保存する手段として用いられたものでもあった。 そこに永遠などない、なくて良いんだ。儚いからこそ、意味がある。 絵に魅せられた者たちが必死の思いで、大切に保存し、状態を維持できるようにしてきた。 それでも色褪せてしまう部分はあるが、そこに…その移ろいや変化に浪漫があるのではないか。 時代を超え、修正されながら生きながらえる美術品。そこに歴史を感じるんじゃないのか。 それとも、変化を良しとするのは…俺が印象派の画家だからだろうか。 絵の状態が変わったからといって、それが絵画の死を意味するわけではない。忘れられることとイコールだとは思わない。 確かに、最後の晩餐は壁画だから…通常の油絵に比べて劣化は激しいかもしれない。 作品が朽ちていく様。他者の手が加えられ、本来の姿とは違うものになっていく様が苦しいというカミロの気持ちも理解できる。朽ちることのない美しさが手に入れば、どれだけ良いだろう。 だが、作品の保存は、人を害してまですることではない筈なんだ。どんなに素晴らしい作品でも、命が対価である筈がない。 俺はもう、名が売れなかった頃の俺じゃない。 美術界では名を馳せたつもりだ。その俺がカミロの手を取ること…それがどんな意味をもたらすことなのか、分かるからこそ恐ろしい。 俺が止薬を通して、自ら罪を犯したらどうなるだろう。 絵画の世界に激震が走るに違いない。俺の経歴が汚れるだけならまだマシだ。けどそれだけじゃ終わらない。 出身高校、大学、友人や両親、絵を買ってくれた様々な店や展示場、美術館、個人の客…今まで関わってきた全ての人に迷惑をかけ、裏切ることになる。そして、あの日賞を取ったミラノ公募展の名を汚し、侮辱することになる。 未来の、日本出身のアーティストの活躍の場が厳しい制限を受けるだろう。才能ある者の人生や夢が、画家の可能性が。俺の行動一つで潰えてしまうんだ。 美術は人の血や死の上に成り立つもの…そんな昏い影を絵画史に落とすことにもなる。 過去にも過ちを犯した画家はいた。女性関係がいい加減で処せられたり、言動に問題のある画家は歴史上少なくない。 けど今は時代も違えば…人の命が関わるとなると話は別だ。 俺を育ててくれた両親だって、犯罪者の親呼ばわりになってしまう。名を馳せている音楽界も、ただ事では済まないだろう。 芸術の形が変わってしまう、芸術に関心を持ってくれる人が減ってしまう。 芸術は人がいるから芸術として在れるんだ。なのに、人を犠牲になんて…あってはならないことだ。 美しさの対価は、本当に人の命なのか? 俺たちに…俺たち芸術家に、命の価値や優劣を決めるような権利があるのか?誰の作品のために、誰が生き、誰が死ぬ。それを俺たちが決めるというのは…違うんじゃないのか? 止薬を生み出し続けるというのは、後世に続くべき芸術が、絶たれてしまうことと繋がるんじゃないのか? 俺は個人の感情を優先してはいけない立場にある。 俺に夢を見せてくれた、叶えさせてくれたカミロを救いたい。俺にできることがあるなら、それをしたい。 そんな一個人の感情だけで動くことは、もう……出来ないんだ。 なぁ、カミロ。 どれだけ時を経ても…芸術は必ず愛され続ける。俺たちが先代の画家たちの絵を愛しているように。 …そこに、”永遠”があるんじゃないのか。 過去の作品の”永遠”にとらわれて、この先の未来を摘んでしまったら。そこで芸術の永遠が終わってしまうんじゃないのか。 そうは、思わないのか。 …カミロを前にしても、俺は同じことが言えるんだろうか。 これだけ俺の作品を、心から想ってくれる、カミロを前にして。
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