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｢この身体は苦労も耐えんが、もう慣れた。 お気に入りのマグカップが棚の一番上に置かれていたときの切なさ以外にはな。｣ ｢張り込みで牛乳なんか飲んでみろ。うっかり腹を下すなんてことになれば一環の終わりだ。野菜ジュースと惣菜パンを食え。｣ 小学生のようなだが、まともな大人である。 それどころかこの零課の最年長であり、そしてこの零課のチーフを務めている、大人だ。幼げな容姿ながらもそのハンデを一切気負いする様子もなく、日々淡々と業務を熟す。 取り留め問題にもならないといった具合に。人目を気にしないどころが、時折補佐の長谷川やその他の班員を足に使う姿も目撃されている。 班員が如何にして日々健やかに業務に励めるかを常に意識しているらしく、時には口うるさいおかんの如く食事の偏りやら運動の怠りを指摘することも度々あったことだろう。 また、彼のディスクの上にはよく、『食べすぎない程度にご自由に食え』と貼り紙と共に籠に入ったお菓子が置いてある。外回りにいった際、近所のおばちゃん達に貰った菓子類だとか。班員は見慣れた光景であろう。 《以降秘匿情報》 「私と彼女は、恋人だった。｣ 「…写真？そんなもの一枚もないさ。｣ 「何。別に不仲だったわけでも秘密にしたかったわけでもない。 そうだな…俺にとってそれは、多分願掛けみたいなものだった。何分日本だからといってもこんな職業の、同職の人間だ。命を落とさないなんて保証はどこにもない。 写真を残さずともこの先も共に生きていける だから写真に残す必要なんてない、と。 まぁ、所詮願掛けは願掛けに過ぎなかったらしいがね。｣ ♦ 親族共に刑事職にある家柄に生まれた長男である。兄と妹の二人。 親から真っ当な愛情を与えられず、刑事職に努まる人材育成が行われる、事務的で冷めた家庭に育った。兄妹は将来刑事になることに何の疑問も不満も持たないまま、刑事への道を辿った。 ＊ 彼は幼い頃から喜怒哀楽の起伏が薄く、何処と無く冷めた人間だった。子供らしさの欠ける幼少は気味悪がられることもあった。決して感情が無いわけでもない彼にとって、気味悪がられることには人並みに傷つく事もあったが、所詮はその程度。仕方ないと割り切れるような人間だった。波風もなく、無味無臭で規則正しいだけの人生を送る……それを受け入れて生きてきた。そうして、レールに従うままに刑事となったのだ。 ＊ そんな彼には「相模原涼」という恋人がいた。同じ課の同期で、長いこと共に仕事をしていた。そして、交際にまで至る関係にあった。周りから感情の無いと言われていた彼のことを、彼女だけは「顔に出にくいだけで分かりやすい」と彼を評価した。彼女には敵わなかった。 彼は、彼女と共にあることを当たり前に願えるほどに愛していた。 元々感情を理解し整理することに長けていた彼は、彼女に対する感情もまたすぐに｢愛｣であると理解した。彼女を通して初めて愛することを知った。その感情は決して悪いとは思わなかった。彼女以外に対しても、確かな親しみを感じられるようになった。全て、彼女を通して確かな｢愛｣を実感したことがきっかけだった。 だが、一生涯に愛すと誓った相手は、呆気ない死を遂げた。1つの事件を追っている最中に起きた悲劇だ。それは一瞬にして彼のうちに築いたものを崩していく。約束をしていた……事件が落ち着いたら籍を入れて仕事を辞めると。その約束は消えていく。呆気なく、無情にも、無慈悲にも。 だが、彼の心にとって、｢最愛の人の死｣は、｢その程度｣の波しか立たなかった。 悲しみも憎しみも怒りも、存在していたはずだ。だというのに、狂うほど脆くはなかった。狂えなかった。いっそ狂いきってしまえれば、きっとそこに救いはあっただろう。 愛していたはずの人が死んだというのに自らの奥底が、想像よりも遥かに静まり返っていた。今まで自分が感じていたものが、ハリボテのように感じた。今まで理解していたつもりの彼女への｢愛｣はただの思い込みだったのではないかとさえ疑った。 本当は気づいていないだけで、彼の心は既に壊れていた。脆くもない。狂いもしない。イカれもしない。それでも人の心は緩やかに壊れていく。彼もまた壊れて、自身の心理がわからなくなっていた。壊れていることなんて彼は気づかない。誰も気づかない。 彼は感情の整理が上手い。無駄な感情を外に出すことはしない。それは以前に変わらず。淡々と澄まし顔で日々の業務を行い、班員との職務外での戯れに興じる。その姿は何一つ変わらないままでいる。 そんななかでも、彼は決して彼女の死を忘れたわけではない。未解決事件や猟奇的殺人事件の全てが真相を現すなんて夢物語を考える人間ではないが、『庭師』の事件だけは必ず解かねばならないという野心を抱いている。それは復讐なのと彼自身わからない。しかし、真相を見つけてことこそ、彼女の無念を晴らせる唯一の手段であると考える。或いは少なからずあの頃抱いた彼女への愛情は本物であったと思い続けるための言い訳にしたいだけなのかもしれない。 仮に事件が世間から忘れさられようと、必ず解明するつもりだ。たとえ刑事の規範から外れた考え方なのだと理解したうえで。それだけは譲れない。きっと諦めれば、いよいよ自分の真偽もわからなくなるだろうから。 その為なら、内部の人間、自らの班員、それどころか自分すらも疑い続ける。 愛する者を亡くした今、彼は全てを疑い続けている。 ♦ 通過後＊ あの日、君の死と共に、記憶と、感情を殺した。 ただ、2度目は。 君の胸を撃ち抜いた2度目は。 この記憶と感情だけは生かすことにした。 愛してた。 愛してる。永遠に。 これだけは疑いようもなく確かだと、君に誓おう。

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